昨日地鎮祭があったお宅のすぐ上に
祝捷山公園(しゅくしょうやまこうえん)があります
昔から地元では合戦場(かっせんば)と呼んでいた場所です
なぜ合戦場というのか、なぜ祝捷山というのか解らぬままそう呼んでいました
今回調べましたら、この小高い丘で鍋島藩の深堀氏と、
大村藩に味方する長崎氏がたびたびここで戦ったそうです。
この場所がちょうど勢力範囲の境目だったのでしょうか

山のてっぺんで戦争するなんて、いかにも平地のない長崎らしい~
また、祝捷山と呼ぶのは日露戦争の時、此処に祭壇を造り戦勝祈願をし、
見事勝利した記念に名づけられたとか
でも、地元っ子には合戦場(かっせんば)のほうがなじみ深いように思います

昔は戦場だった処も、
今や、野球場や遊歩道が整備され、景色は抜群
犬の散歩や早朝野球などを楽しむ市民で賑わっていました。
長崎港の花火大会もよく見えるそうです。
良いところを見つけました!
